先日、町の議員選挙がありました。 選挙運動がスタートする数日前から、 ポストにチラシが投函され始めました。 そろそろ賑やかになるなぁと思いつつ 畑で作業をしていると、1台の車が止 […]
「川俣町」の記事一覧
町から配布されたマスクは高級品だった!?
5月11日(月) 役場から書類が届きました。 書類は窓空き封筒に入っていて、 「新型コロナ対策におけるマスク配布」と書かれています。 書類の日付は5月8日。 届いた書類にはこんなことが書いてありました。 この度町では、 […]
山菜の放射能検査を受けてみました。その結果は・・・?
この時期、我が家の土手には「うど」が たくさん出てきます。 スーパーで販売されているうどは色白ですが 我が家のものはこんな感じ。 皮は毛羽立ちが多く、固くて食べられませんが 香りも味も強く、大好きな山菜です。 […]
古関裕而と金子の恋を描いた「君はるか」に胸キュン!
古関裕而の長男である古関正裕さんが出版した 「君はるか」を読みました。 本の中では、古関裕而と妻の金子が交わしていた手紙が 時系列で紹介されています。 福島県に住む古関と、愛知県に住む金子が出会ったのは 昭和 […]
古関裕而が作曲した「川俣中学校校歌」への思い。歌唱指導の内容とは?
古関裕而が弾いたオルガンや直筆の楽譜など、 普段は目にすることができない貴重なものが 川俣町役場の中で展示されています。 (展示期間:令和2年2月25日~3月13日) 展示スペースはこんな感じです。 ボードには楽 […]
古関裕而が弾いたオルガンにご対面!今も現役!?
2月25日(火)から、川俣町役場内で 古関裕而が弾いたオルガンが展示されています。 役場に入ってすぐ左側に展示コーナーがあります。 オルガンは、古関が川俣時代に弾いていたものです。 古関が川俣で過ごしたのは昭和3年~ […]
古関裕而の愛唱歌「白鳥の歌」とは?古関と和歌を楽しんだ住職はどんな人?
古関裕而は、生前、家族に好きな曲は?と聞かれて、 「白鳥(シラトリ)の歌」と「オリンピック・マーチ」をあげています。 「オリンピック・マーチ」は昭和39年(1964年)10月の 東京オリンピックの開会式で演奏され […]
古関裕而が弾いたオルガンが残る「仙䑓屋呉服店」とは?
古関裕而は、10代最後の2年間、 親元を離れ川俣銀行に勤務していました。 川俣銀行は伯父「武藤茂平」が頭取、 茂平の弟「二郎」も勤務する地元資本の銀行で 古関は一番の末席でした。 古関が銀行勤めを始めてしばら […]
古関裕而の銀行員時代とは?当時の音楽活動は?
古関裕而は、家業の呉服店「喜多三(キタサン)」を継ぐために 福島商業学校(以下、福商といいます)に入学します。 が、その後、店は廃業となってしまい 福商を卒業した古関は音楽漬けの日々を過ごします。 そんな古関に声 […]
古関裕而が勤務した「川俣銀行」とは?
古関裕而は、10代最後の2年間を「川俣町」で過ごし 「川俣銀行」に勤務していました。 「川俣銀行」は、古関の母の兄「武藤茂平」が 頭取をしていた銀行です。 ここでは、川俣銀行の歴史についてご紹介します。 […]