古関裕而が弾いたオルガンや直筆の楽譜など、

普段は目にすることができない貴重なものが

川俣町役場の中で展示されています。

(展示期間:令和2年2月25日~3月13日)

 

展示スペースはこんな感じです。

 

ボードには楽譜や像などが掲示されており、

ガラスケースの中には古関直筆の手紙や新聞記事などがありました。


オルガンについてはこちらの記事をご覧ください。

古関裕而が弾いたオルガンにご対面!今も現役!?

 

川俣音頭の楽譜

 

川俣小唄(現在の川俣音頭)の楽譜はこちら。

 

川俣音頭の1番の歌詞はこんな感じです。

 

絹の川俣八千八機(ヤハタ)

ひびく世界に品のよさ

いつでもからりこ 機(ハタ)の音

どんどと織り出せ 国の富

 

作曲されたのは昭和22年(1947年)。

川俣町は国内で有数の絹織物産地でしたから、

歌詞には当時の繁栄ぶりが映し出されていますね。

 

作詞したのは「本多青華」

本多は、家業のかたわら文筆活動をしていて

古関が「川俣銀行」に勤めていた昭和3年~5年の頃に知り合っています。

川俣音頭は12番まであります。全歌詞はこちら。

川俣町の教育

平成19年7月発行 発行者:川俣町教育委員会

古関の像

 

ボードの中央には古関の像が掲示されています。

優しくて穏やかなとてもいい表情ですね。

 

作者の「太田良平」は、福島県梁川町生まれの彫刻家

だそうで、梁川町と福島市で作品を見ることができます。

梁川美術館

太田良平記念館(閉館中)

 

大正14年の川俣町

 

こちらは大正14年の川俣町。

細かい文字を読み取ることはできませんでしたが

古関が勤務していた「川俣銀行」と下宿先の「ちりめん屋」は

色付けされていました。

 

川俣中学校校歌の楽譜

 

川俣中学校校歌の楽譜がこちら。


楽譜が掲示されていたボードの前にはガラスケースがあって、

その中には古関の手紙や新聞記事など様々な資料がありました。

 

古関の校歌作曲への思いや歌唱指導の内容などを

ご紹介します。

 

川俣中学校校歌作曲への思い

 

川俣中学校校歌の楽譜には、1971年9月と書かれています。

古関裕而の校歌作曲は昭和46年なのですね。

 

古関が従兄弟に宛てた手紙には、

校歌に対する思い、川俣町への思いが書いてあります。

 

手紙は撮影禁止でしたので、ざっと内容をまとめました。

 

漢字表記など間違いがあるかと思いますが

手紙の雰囲気はお伝えできるものと思っております。

 

冠省

御手紙拝見いたしました。

川中校歌の歌詞についてはいろいろと御心配のご様子。

どなたが作詞されているのかわかりませんが

地元或いは福島附近に在住の方なら

川俣町のことをよく御存知でしょうから

きっとよい詩ができることと期待してます。

最近も方々の中学校や小学校、高校の作曲を頼まれておりますが

歌詞の型、内容が生徒達が喜んで歌えるものが多くなりました。

古い型の論語調は少なく、口語調の明るい楽しい校歌の内容に

変わりつつあります。

押しつけ調から生徒自ら歌うという歌詞になってきました。

川中の昔はどんな内容か知りませんが

明るい曲調にしたいと思ってます。

山に囲まれた緑の美しい川俣町に育つ

若い中学生が声高らかに唄う曲をと今から考えております。

3月お伺いした折も、東京の汚れた空気の中から参りますと

本当にホッとしました。

こんな綺麗な空の下に学ぶ子供たちは恵まれていると思います。

作詞者に御連絡できましたら

作曲者はこんなふうに考えているとお伝え下さい。

先日、米沢に仕事があって参りましたが

途中飯坂に一泊した折、蛍を見、郭公を聞き

ふと川俣を思い出しました。

川俣では蛍が飛び、郭公が鳴いているでしょうね。

うらやましい次第です。

お打ち合わせ御上京の折は前もって御連絡ください。

毎日出かけたり仕事をしたりして居りますから。

末筆ながらライオンズクラブの皆さまはじめ

御家内の皆々様によろしく。

武藤光二様         22日    古関裕而

 

古関の思いが伝わりますね。

個人的には、この部分に心惹かれました。

 

「山に囲まれた緑の美しい川俣町」

「こんな綺麗な空の下に学ぶ子供たちは恵まれていると思います。」

 

中学生の頃、私は故郷の良さなど考えたこともありませんでした。

 

大人になって、しばらく東京暮らしをしていたせいか

再び住んでみて初めて、故郷の良さがわかりました。

古関の言葉どおり、ここは緑の美しい、綺麗な空がある町なのです。

 

校歌第二作は古関金子が補作!?

 

川俣中学校校歌を作詞したのは「本多青華」。

本多は「川俣音頭」も作詞しています。

 

詞が出来上がるまでは

第一作~第三作まであったようです。

 

展示されていた資料を見るとその変化の様子を

感じることができます。

 

以下、資料の内容をご紹介します。

読取り間違いがあるかもしれません。ご容赦ください。

 

第一作

囲む峰巒(ホウラン)日に映えて

花塚の峰(ネ)に湧く雲を

凌ぐ理想に胸は燃ゆ

古今の精義(セイギ)学びつつ

研求練磨(ケンキュウレンマ)日に常に

はてなき希望語りつつ

叡智(エイチ)の苑(ソノ)にわれら立つ

 「古関裕而×川俣町×近畿大学PR展」展示資料より

第一作は難しい言葉が多くて、カタイ感じがするというか

理想が高すぎて歌うのも気が引けます・・・

 

第二作       古関金子補作

みどりの山々 日に映えて

花塚山に 白い雲

仰ぐ胸にも 燃えてくる

希望の光 かがやく理想

若い力が 伸びてゆく

われら 川俣中学校

あつい心の 友だちと

たがいに腕組み 健やかに

世界の知識 学びとり

進む足音 意気高らかに

若い力を 鍛えよう

われら 川俣中学校

「古関裕而×川俣町×近畿大学PR展」展示資料より

第二作の詞は、古関の妻「金子」が補作したそうで

だいぶ雰囲気が変わりましたね。

 

やわらかい言葉の中にも力強さを感じます。

 

第三作

一 

めぐる山並 日に映えて

花塚の嶺に 湧く雲を

凌ぐ理想に 胸は燃ゆ

古今の真理 学びつつ

若い知性が 伸びてゆく

英智(エイチ)の川俣中学校

二 

友情あつき 学窓に

教え守りて 怠らず

進取のこころ 求めつつ

共に鍛えて 健やかに

腕組み進む 足音に

土も揺らぎて 意気高し

意気も高らか 鳴り響く

われらが 川俣中学校

「古関裕而×川俣町×近畿大学PR展」展示資料より

第三作は、完成した校歌とほとんど同じです。

 

すでに大人になった私にも、この歌詞は響くものがあります。

普遍的な歌詞といえるかもしれませんね。

 

現在の校歌はこちらで確認することができます。

川俣中学校校歌(印刷用ページもあります)

 

古関の歌唱指導とは?

 

古関は、音楽担任の教師に宛てた手紙で

歌唱指導をしています。

 

以下に、展示資料から読み取った内容をご紹介します。

読取り間違いがあるかもしれません。ご容赦ください。

 

音楽の担任の先生へ

速度は指定の範囲が適当と思います。

歌いやすい曲ですからすぐ覚えると思います。

「*」は正確に、「*」が往々にして

♫や♩♪と唄いがちですから御注意ください。

音域はオクターブと短るたり

変声期の子供も大丈夫と思いますが

もし唄いにくい場合は二度位上げ下げしても結構です。

(イ長調または変イ調に下げる、またはハ長調に上げる)

楽譜に指定したような明るく力強く楽しく合唱すれば

この曲が生きてきます。

のびのびと唄わせてください。       古関裕而

 

「*」と表示した部分はこんな音符記号でした。

古関が伝えたかったのはこのことだったようで

音楽の知識がある方はご存知なのでしょうね。

私はサッパリわかりません・・・

 

古関のいう「明るく力強く」という言葉は、

楽譜に書いてあります。


校歌は本当に明るい歌で、歌うと元気が出ます。

音源が手に入ったらぜひご紹介したいと思います。

 

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