古関裕而は、10代最後の2年間、

親元を離れ川俣銀行に勤務していました。

 

川俣銀行は伯父「武藤茂平」が頭取、

茂平の弟「二郎」も勤務する地元資本の銀行で

古関は一番の末席でした。

 

古関が銀行勤めを始めてしばらく過ぎた頃、

商業学校時代のクラスメートが入行してきました。

 

クラスメートの名は「木村正夫」。

木村の実家は「仙䑓屋(センダイヤ)呉服店」

川俣銀行のすぐそばにありました。

 

私が銀行に入って一年程たって、私と商業の同級生K君が入行して来た。

思わぬ再会に二人とも大喜びで小さな銀行は一段と賑やかになった。

普通の日は三時になれば銀行は閉店、帳簿の整理もすぐ終り、そのあとは

附近の小高い丘にK君と遊びに行ったり、又詩のすきなK君が自作した作品

を読みながら私は新しい曲を口ずさみ乍らその日その日を二人して楽しんだ。

はるかなり五十年 「文化福島」(昭和54年)

 

木村の詩は、古関の「音楽ノート」に記録されています。

 

「音楽ノート」とは、商業学校時代から上京直前までの

古関の音楽記録です。

 

斎藤秀隆著「古関裕而物語」で、古関の音楽ノートに

記録されている木村の作品名を見ることができます。

・第7篇

里謡「堂突(ドウツキ)歌」・「阿武隈に立ちて」(作詞木村正夫)

・第8篇

「田中光雄(テルオ)君の霊前に捧ぐる歌」(作詞木村正夫)

 

古関の自伝には、木村の事は書かれていませんが

木村の甥である岡村隆さんが2人の思い出を紹介しています。

古関裕而と木村正夫

 

また、仙䑓屋呉服店の歴史についても紹介されていて

大正当時の写真も掲載されています。

仙䑓屋呉服店(父貞三のこと)

 

仙䑓屋の創業は天保3年(1832年)。

創業は坂本龍馬が生まれる前・・・スゴイですね。

 

こちらは昭和55年(1980年)12月の写真。

左側手前の建物が仙䑓屋です。

広報かわまた NO.686 平成27年(2015年)3月

 

写真はクリスマス豪雪の時に撮影されたもの。

道路がすごい状態になってますね。

 

この12月、古関は川俣を訪れています。

古関が作曲した「川俣町民の歌」の発表会があり、

それは盛大な発表会だったとか。

 

仙䑓屋は蔵をたくさん所有していて

広瀬川沿いの裏通りから、蔵を眺めることができます。

 

川俣町といえば、必ずといって言いほど

この風景が紹介されます。

 

こちらは、川俣中学校で美術を教えていた五十嵐先生の作品。

逆の方向から見た蔵の風景です。

版:五十嵐康二氏 「川俣絹の里探訪」

 

 

五十嵐先生の作品は、こちらのまち歩きマップで

見ることができます。

「川俣絹の里探訪」(平成18年3月)

 

古関の伯父で銀行の頭取でもある「武藤茂平」は

「ちりめん屋」を営んでいました。

 

「ちりめん屋」は、味噌や醤油の醸造を営む資産家。

娘の「武藤ヤス」は古関のいとこで、仙䑓屋に嫁いでいます。

 

ヤスは、音楽学校に行きたかったそうで、ちりめん屋で

オルガンを弾いていました。

川俣町公式ホームページ

 

古関も弾いていたこのオルガンは、仙䑓屋に保管されています。

後年、古関は仙䑓屋を訪れてはヤスと一緒にオルガンを弾いたとか。

現在は、ヤスの孫にあたる木村重幸さんが管理されているそうです。

 

オルガンは、時折展示されたり演奏されたりすることがあります。

NHK朝ドラをきっかけに、その機会が増えるのを期待しています。

古関メロディー歌合戦(2020年3月15日開催)

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