古関裕而は、幼少の頃から音楽にふれ合っていました。
 

音楽好きの父は、大正初期に蓄音器を購入しています。

父は呉服店を経営していて、従業員たちの娯楽用にと

購入したようですが、当時はとても珍しかったでしょうね。
 

余暇にはいつもレコードをかけていたようで、

古関はいろんな音楽を耳にしています。

私はその傍らで絵を描きながらよく聞いていた。

主に浪曲が多かったが、私は民謡や吹奏楽が好きだった。

これが私と音楽との出会いである。

自伝「鐘よ 鳴り響け」

幼稚園時代の古関

 

古関は幼稚園時代、毎日のように

三味線が上手な叔母さんのところに遊びに行っていました。
 

叔母さんは古関の父の妹で、「マス」さん。

(自伝には「ます子叔母」と書いてあります。)
 

ご主人が福島の裁判所に勤務していた関係で、

近くに住んでいたようです。
 

福島裁判所は、朝ドラ「ひまわり」の舞台になりましたね。

主演は松嶋奈々子さん。

放送されたのは平成8年(1996年)ですから

もう20年以上も経つのですね。

ひまわり(1996年のドラマ)(Wikipedia)

 
裕而には乳母がいましたから、

一緒に叔母さんのところに行ったのかもしれませんね。

 
子供がいなかった叔母さんは裕而を可愛がってくれたとか。

福島在任中は、私は幼稚園から帰ると

毎日のように遊びに行った。

叔母は三味線が上手で礼儀作法も厳しかった。

私はこの叔母からいろいろ影響を受けた。

自伝「鐘よ 鳴り響け」

小学生時代の夏休み

 
その後、古関が小学校に入る頃に

叔父さんは白河の裁判所所長に栄転となります。

白河の所長時代には、夏休みはほとんど叔母の家で過ごした。

自伝「鐘よ 鳴り響け」

 
古関は叔父が白河にいた数年間、毎年のように

夏休みに遊びに行っていたようです。

白河高原の涼しい夏に私は大喜びで、白河の盛り場を

叔父や叔母と散歩したりして涼しい夏を楽しんだ。

またある時は南湖公園に行ったり、関山にも登ったりした。

(「はるかなり五十年」『文化福島』昭和54年4月号)

斎藤秀隆著「古関裕而物語」

晴れ舞台を支えた燕尾服

 
話は飛んで、昭和5年。

古関は、コロムビア専属作曲家として上京します。

 
翌昭和6年に、読売新聞がアメリカのプロ野球選抜チームを招き、

古関は「日米野球行進曲」を作曲します。

 
日比谷公会堂で開催される米国チーム歓迎会では

古関の指揮で、新交響楽団が演奏することに決まります。

 
指揮の練習をする古関のもとに、急な知らせが入ります。

「当日は燕尾服で指揮するように」と。

 
今ならレンタル衣装を頼ることもできますが

昭和6年当時、急にそんなこと言われても困りますよね。

 
ここで、古関は叔父さんの姿を思い出します。

その頃、天皇陛下は摂政宮で、妃殿下とご一緒に

猪苗代湖畔の高松宮別邸に避暑に来られた。

白河駅ご通過の時叔父は奉迎役で燕尾服に勲章を下げ、

叔母は黒紋付姿で揃って出かけるところを見ていた

自伝「鐘よ 鳴り響け」

 
古関と叔父さんは体つきが似ていたそうで、

叔母さんはエナメルのシューズまで貸してくれたとか。

 
幼稚園時代から可愛がっていた裕而の晴れ舞台。

叔父さんも叔母さんも喜んでくれたでしょうね。

 
※猪苗代湖畔の高松宮別邸は「天鏡閣(テンキョウカク)」となり

現在も利用することができます。

天鏡閣(国指定重要文化財)(Wikipedia)

天鏡閣公式ホームページ

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