「古関裕而物語」は平成12年(2000年)に発行されました。

古関直筆の楽譜が裏表紙になっています。

著者の斎藤秀隆さんとは?

 

著者の斎藤秀隆さんは、古関裕而の母校の後輩。

教員として母校にも勤務し、

昨年の夏に母校の「古関裕而音楽祭」で講演なさっています。

古関裕而音楽祭(2019年7月)

 

本は、地方紙の「福島民友新聞」文化面に

「古関裕而生誕九十年・没後百年記念特別企画」として

50回にわたり連載されたものです。

 

連載は平成11年(1999年)4月から1年間続きました。

 

また、連載は10年後の平成21年(2009年)にも始まり

その内容は新聞社のホームページで見ることができます。

古関裕而「うた物語」(福島民友ネット)

 

「古関裕而物語」はどんな内容なの?

 

著者は、とても丁寧に取材していて

古関裕而のエピソードをたくさん知ることができます。

 

それは、同級生の話だったり、

家族(娘や息子)が語るエピソードだったり、

古関が書いた手紙、古関が取材で語った話など

多岐にわたります。

 

福島に馴染みのある方、

特に、古関と著者の母校である「福島商業高等学校」に

ゆかりのある方は楽しめる一冊だと思います。

 

良く言えば、福島愛にあふれている本。

福島に興味が無い方にはあまり響かないかもしれません。

 

本の中には、たくさんの人が出て来るので

読んでいるうちに「この人は誰だったかな?」と

私は何度も迷子になりました。

 

とはいえ、

古関は甘党で、「三ツ矢サイダーが好きだった」

という話にはほっこりするし

妻の金子(キンコ)とやりとりした手紙は

読んでいると胸がときめくし、楽しい本だと思います。

斎藤秀隆著「古関裕而物語」の目次

古関は高校を留年した?

 

古関が通った「福島商業学校」は5年制の学校でした。

大正11年(1922年)、13歳で入学した古関は

昭和3年(1928年)3月に卒業しています。

 

同級生の話によると、古関は「四年になる時留年した」そうで、

本に登場する同級生たちは、

昭和2年卒業の人と昭和3年卒業の人がいます。

 

古関は、自伝「鐘よ 鳴り響け」で

「商業学校での私は、ソロバンの玉よりも音符のタマの方が好き」

と言う位、音楽に熱中していたようです。

 

そんな古関がのびのびと活動できたのは

恩師の理解と支えがあったからでしょう。

 

古関が影響を受けた恩師や友人は

本の中にたびたび登場します。

 

おそらく、NHK朝ドラでも重要な役割になるでしょう。

 

本に登場する以下の7人については

あらためてご紹介したいと思います。

 

遠藤喜美治(エンドウ キミジ)・・・・福島師範附属小学校の恩師

丹治嘉市(タンジ カイチ)・・・・・・・・福島商業学校の恩師

坂内萬(バンナイ ヨロズ)・・・・・・・・同上

野村俊夫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・作詞家。古関の幼なじみ。本名は鈴木喜八。

伊藤久男・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・歌手。古関の新婚時代から交遊。

丘灯至夫(オカ トシオ)・・・・・・・・・・作詞家。福島県生まれ。

宮尾利雄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・古関と福島商業で同級生。伊藤久男と小学時代の同級生。

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